結婚に向いていないと自覚する独身男女が知るべき4つの工夫
結婚に向いているも向いていないも無い
「私は結婚に向いていない」。誰憚ることなく、こう公言する独身男女が一定数存在する。大変申し訳ないのだが、筆者の目からは、「私は一人でトイレに行けません」と言っているのと同じくらい、滑稽に映る。そんなあなたの性格とは、一体どんなものなのか。自分勝手で我がまま放題な性格ですとでも言いたいのか。もしそうだとすれば、それを改めるつもりはないのか。そもそも、結婚をしたことがないあなたが、どうして結婚に向いているであろう性格を論じることができるのか。仮に、あなたが結婚経験者であったとしても、たかだか、一、二回程度の挫折経験で、どうして自分は結婚に向いていないと決めつけることができるのか。
筆者は、結婚には、向いているも向いてないも無いと考える。結婚は、あらゆるタイプの独身男女に等しく門戸が開かれており、夫婦の数だけオリジナルの結婚生活の形があると考える。そして、筆者は、結婚に向いていないと公言する独身男女のみなさんは、実に大きな誤解をしている気がしてならない。「結婚とは、性格や価値観の一致した夫婦が、ピタリと呼吸を合わせ、折り目正しく、あらゆることで清く正しく美しく協調して生活するものだ」、という誤解だ。世の中は広いので、もしかしたらそんな神懸った夫婦も稀にはいるかもしれない。しかし、大部分の夫婦はそんなものとは似ても似つかぬような結婚生活を送っているのではないだろうか。
なぜなら、筆者は、そんな夫婦にはただの一組もお目にかかったことがないからだ。筆者の親族(兄弟、従兄弟、叔父叔母、祖父母夫婦)や先輩、後輩、友人、知人夫婦等を見渡してみても、性格や価値観がピタリと一致した夫婦などどこにも存在しない。男性、女性として性か異なるだけで、その性格や価値観はかなり違うし、それに輪をかけて育った環境が違う。性格や価値観が合わないことが、むしろ標準と言っていい。そして、それこそ結婚には全く向いていないと思われるような人でも、実際に結婚している人はたくさん存在するし、逆に、間違いなく結婚に向いていると思われるような人でも、実際に結婚していない人はたくさん存在する。
つまり、結婚に向いているも向いていないも無ければ、性格や価値観のピタリと一致した夫婦も存在しない。ただあるのは、赤の他人である夫婦が、結婚生活を良好なものにするために、お互いに頑張って、「工夫している」という現実だけだ。即ち、夫婦は、①同化する、②妥協する、③割り切る、④争う、の4つの工夫をもって、「結婚に向いている自分」を演出し、各々オリジナルの結婚生活を送っている。
結婚生活を良好なものにするための4つの工夫
①同化する。これは、夫婦間の異なる性格や価値観などが感化されて同じになることだ。夫婦が、心身ともに、全面的に相手と一体化する。ただ表面上だけ辻褄を合わせるというのではなくて、心の底から、理解し、納得した上で、一体化する。しかも、特別な努力の末に一体化するというのではなく、自然に一体化する。もしかしたら、「私は結婚に向いていない」と考える独身男女のみなさんは、こんな異性との出会いや結婚生活のみを念頭に置いているのかもしれない。しかし、これは完全な絵空事だ。こんな状況が成立するであろう異性とは、おそらく1000年経ってもめぐり合うことは無い。完全なファンタジーであると理解しておいたほうが無難だ。
②妥協する。これは、夫婦間の主張が対立する場合、お互いの主張を一定程度ずつ譲歩し合って、一つの結論を導き出すことだ。時には、夫婦の一方が、全面的に譲歩する場合もある。妥協は、同化とは異なり、必ずしもお互いが、心の底から、理解し、納得しているというわけではない。結婚生活を良好にするためのテクニックとして、表面上、化かし合うだけの話だ。結婚生活で、このケースに収まっている夫婦は、極めて恵まれている。特に、自身に包容力があり、相手に包容力がある形で、双方歩み寄りの妥協が成立している夫婦は、完璧な優等生だろう。ちなみに、「私は結婚に向いていない」と考える独身男女のみなさんには、妥協という工夫など、頭の片隅にも存在しない。
③割り切る。これは、夫婦のそれぞれが、相手への過剰な理想や期待を捨て、ある程度の心理的距離も許容して生活することだ。性格や価値観は違って当然ということを全面的に受け入れ、お互いがある程度ドライに接していく。同化を期待せず、妥協もせず、争う(後述)こともしない。いい意味で、そのまま放置する。上手くいけば居心地の良い関係が期待できるが、割り切りが極限まで進むと「仮面夫婦」という状況になりかねない。
④争う。これは、夫婦間の主張が対立する場合、自分の主張の相手への浸透を図るべく、議論を尽くすことだ。基本的には同化を目指して争うが、最低でも相手からの妥協を引き出すことを企図する。争うことは、積極的により良い理想の環境を作ろうと努力する姿勢であり、単純に妥協したり、割り切ったりするよりも、前向きな姿勢であると見る向きもある。夫婦が高度に理性的で、論理的思考に長けた者同士であれば、同化が期待できる。ただし、この取り組みが裏目に出ると、お互いにしこりが残る場合があり、夫婦の溝が却って深まってしまう危険性をはらんでいる。
争うことは危険極まりない賭け
結婚生活を良好なものにするために、同化する、妥協する、割り切る、争う、の4つの工夫がある。そして、結婚した夫婦は、TPOに応じてこの4つの工夫を使い分けるわけだが、一点だけ留意すべき点がある。それは、「争う」という工夫は極めて危険な賭けだということだ。争うという工夫は、よほど重大な意思決定をする局面で、かつ、法的、科学的裏付け(またはそれに近似するような強い裏付け)が存在し、更に、相手が議論に耐え得るだけの理性と思考力とモチベーションを有している場合のみ活用するものであり、そうでない限りは、原則活用すべきではない。結婚生活の99%の局面においては積極的に封印すべきものだ。
婚活中のカップルや新婚夫婦にとって、特に危険な罠となるのは、住居を決める時だ。たとえば、アパートを借りるとしよう。先ずは住むエリアの選定だ。職場に近い、実家に近い、駅に近い、治安が良い、公園がある、スーパーがある、病院がある、住み慣れた街がいい、閑静な街がいい、などを議論する。子供の教育の観点や、将来の自己所有を見据えた議論をする。結婚相手によっては、親と同居、地方や都市部に引越、海外移住、なんてことも議論する。その次は、家賃の水準についてだ。これは、住む場所と、物件のグレードによって決まる。誰だって、広くて、綺麗で、最新の設備が揃っていて、駅近の物件に住みたいに決まっている。しかし、当然家賃は上がる。では、家賃を幾らまで出すか。5万円なのか、10万円なのか、15万円なのか。20万円、30万円、50万円、100万円だって構わないのか。少々高い家賃を払ってでも目先の快適を取るのか。それとも、少々我慢してでも家賃を抑え、将来に備えて貯蓄するのか。これらをすべて議論する。
さあ、どうする。選択肢は無限大だ。当然、お互いの希望がピタッと一致するケースなど無い。さて、激突するお互いの価値観を話し合って、すり合わせて、二人にとってベストな結論を導き出すなどという争いを、本気でやるのだろうか。もし、お互いが本気で自分の意見を主張し始めたら、十中八九喧嘩になるだろう。というより、結婚早々、いきなり離婚の危機が訪れる。「あなたとは価値観が違う」、そんな展開になるであろうことが目に浮かぶ。たしかに、住居を決めることは重大な意思決定だ。しかし、住居こそ「住めば都」という言葉が存在するくらい、十人十色の価値観を持っている。当然、強い裏付けなどあろうはずもない。そう、住居を決めるというような重大な意思決定でさえ、決して争うべきではないのだ。
肩の力を抜いて婚活を始める
もし、あなたが「私は結婚に向いていない」と感じているのなら、あなたは、一旦、思いっきり肩の力を抜いてみては如何だろうか。恐らく、あなたは、極端に真面目過ぎるのだ。完璧でなくていい。不完全でいい。結婚生活なんて単なる化かし合いだ。そんな程度の緩い認識で、改めて、婚活を始めてみてはいかがだろうか。
先ず、「同化が可能な理想の結婚相手がきっとどこかに存在する」などということはゆめゆめ思わないこと。そんな人は存在しないし、そんな人を追い求めていては、いつまで経っても結婚などできない。二人が同化することは容易ではなく、結婚生活を何十年も経た熟練夫婦でさえ、できるかどうか怪しい。
同化を目指して、「争う」ことをしてはいけない。婚活中に知り合った異性に対して、本気で争うことなどしたら、煙たがられてフラれるだけだ。もし、あなたが相手に対して、「こんな服を着て」、「あんな風にしゃべって」、「そんな感じで私と接して」などと無神経に注文を付けているとしたら、即刻、止める。そんな注文は、重大な意思決定でもなければ、何の裏付けもない、単なる我がままだ。
「妥協する」のは嫌だ、全部自分の思い通りに生きたいというのであれば、「割り切る」ことのできる相手を選べばよい。全部自分の思い通りに生きたいということを公言して、それを認めてくれる相手と結婚する。もちろん、相手も、全部相手の思い通りに生きる。つまり、結婚した後も、お互いが一定程度好き勝手に生きればいいのだ。食事も別、遊びも別。究極的に二人が合意できるのなら、住居も別で良いではないか。
どうしても「争う」ことで同化を目指したいというのなら、少なくとも、その争いに耐え得る相手を選択すること。高度に理性的で、論理的思考に長けた人が良いだろう。もちろん、50%の確率で、あなたが論破されることが大前提となる。念のために言っておくが、万一、あなたが相手を論破する確率が全体として80%を越えるようであれば、それはもはやあなたの我がままだ。
不確実性こそ結婚の醍醐味
あなたはキリスト教信者であり、相手はイスラム教信者だ。あるいは、あなたは自由主義信者であり、相手は社会主義信者だ。そもそも同化は至難の業だし、争うことも無謀だろう。
つまり、結婚の大部分は妥協であり、妥協するために結婚する。そして、それこそが結婚の醍醐味であり、その不確実性のことを「幸せ」というのだろう。
筆者は、「私は結婚に向いていない」と考えるあなたが、気持ちを切り替え、婚活で成功することを心から応援している。
以上
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