
あなたの見栄はバレている「結婚で承認欲求を満たす幻想」
夫(妻)はアクセサリー

「夫は、イケメンで、Sラン首席」。「妻は、帰国で、元ミスキャン」。婚活中の独身男女のみなさんはブランドが大好きだ。残念ながら、筆者もその一人であった。多くは、自己の承認欲求に起因している。自分は、イケメン(ミスキャン)と釣り合うほどに価値ある女性(男性)なのだとアピールしたい。結婚相手という名のアクセサリーを身にまとうことで、自己の価値を盛り、他者から価値ある存在だと認められたいのだ。
心理学者マズローは、人の基本的欲求を6段階の階層で説明する。すなわち、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求、の6段階だ。前者ほど低次の欲求、後者ほど高次の欲求である。そして、結婚は、これらのどの欲求からも動機づけされる。ご飯を食べるため(生理的欲求)に結婚する人もいるし、子供の養育費を担保するため(安全欲求)に結婚する人もいる。もちろん本丸は、情緒的な繋がり(社会的欲求)から結婚することだろう。そして、承認欲求も動機の一つとなる。
とはいえ、結婚を自己の承認欲求を満たすための道具として使うことは、お勧めできない。他力本願かつ低レベルの承認欲求が心地よいと感じる時間は、あまりに短く、そして、はかないからだ。
誰もあなたを承認しない

結婚相手を、自己の承認欲求の充足のために選んでも、それは、一生に三度と披露しない高級アクセサリーを手に入れるようなものだ。コスパが悪い。これまでは、挙式披露宴が数少ない披露の場だったのだが、もはや盛大な披露宴は絶滅危惧種となった。経歴を読み上げて気持ち良くなる時代は、遠く昔の話だ。そして、いづれ結婚すれば判るが、日常生活で、結婚相手のステータスを自慢するような機会もほぼ皆無と言っていい。だれも、あなたの結婚相手のステータスなどに関心はない。まして、個人情報保護の時代、ダイバーシティーの時代である。組織でも地域社会でも、自分のステータスですら語らないし、聞かれない。頻繁に社交界に出席するような貴族やセレブリティでもない限り、結婚相手のステータスをして、自己の承認欲求など満たされない時代となったのだ。
万一、結婚相手のステータスを自慢できるような絶好の機会に恵まれたとしても、人はあなたのことを決して承認しない。どこまでいっても他力本願だからだ。そもそも、あなたのステータスが高ければ、結婚相手のステータスにすがる必要などない。あなたのステータスがそうでもないから、結婚相手のステータスにすがるのだが、周りはその「不釣り合い」を見抜いている。表面上ではお世辞の一つも言ってくれるかもしれない。しかし、内実は、煙たがられるか、冷ややかな目で見られるか、ねたまれるのがオチだ。
真の欲求を見つめ直す

更に残念なことは、承認欲求を満たす前提となる結婚相手のステータスの多くが、共同主観的な虚構であるという点だ。イケメンとか、美女とか、高学歴とか、いい仕事に就いている、とか。確かに、これらの虚構は、恋愛時代には威力を発揮する。尊敬は恋愛の調味料だ。しかし、結婚して一心同体となった実生活では、ほとんど意識も及ばないし、大して役にも立たない。結婚して1年くらいは余韻が残るかもしれない。しかし、早晩、虚構から醒める。そのあとは、現実が待っているだけだ。食べた皿を片付ける夫、長時間大音量でドライヤーをかけない妻、のほうがよっぽど心地よいし、実利がある。
結婚相手のステータスに固執しても、承認欲求が満たせないばかりか、実利もない。二重の意味で期待外れだ。もちろん、一部のステータスに限れば、生理的欲求や安全欲求は満たせる可能性がある。しかし、それも、承認欲求への過度の期待が裏切られることで相殺されてしまう可能性がある。結婚に限れば、承認欲求は、生理的欲求や安全欲求よりも低次の欲求と言えるかもしれない。みせかけの見栄に惑わされて踊り続けるくらいなら、生理的欲求や安全欲求を冷静に測ったほうがまだマシだ。結婚はドラマではない。地に足をつけた長期の取り組みになる。一度深呼吸した上で、改めて自分の真の欲求を見つめ直してみてはいかがだろうか。
以上
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